2022年4月、東武鉄道は野田線(東武アーバンパークライン)の車両を近い将来6両編成から5両に減車することを発表しました。
野田線が減車に踏み切ったのは長期的、慢性的な輸送量の減少見込みだけでなくコロナ禍による急激な利用減少が原因となったと考えられます。
↓野田線減車に関する記事(枝久保達也さんの記事なので安心して読めます)
www.sankeibiz.jp↓ついでに東武アーバンパークラインが大コケした理由の考察(宣伝)
この件でときどき引き合いに出されるのが、6・8両編成混用から全列車6両編成にスリム化を果たした新京成電鉄です。
実は新京成線も野田線と同様、緩やかな利用減少と急激な利用減が同時に起こっていました。この記事ではその中から、緩やかな利用減少の背後要因たる沿線環境の変化と急激な利用減少をもたらした東葉高速線開通について前後編で振り返っていきます。
1990年頃までの新京成線の立ち位置
前編では利用減が起こる前、利用者が順調に増加していた時代の新京成について振り返ります。
新京成線は京成津田沼駅と松戸駅を結ぶ路線です。東京都心から見ると外環状線のような位置を走っており、沿線の随所で都心から放射状に伸びる各線と連絡している…というのは現在の話で、かつての沿線事情は全く異なっていました。
新京成線の他社線連絡の変化
以下に1980年代後半、JR発足以降の他社線連絡の変化を各駅ごとに列挙します。
→対都心の主要乗換駅。上野東京ライン開業くらいでさほど変化なし
→武蔵野線の京葉線直通開始(1988年)、東京延伸(1990年)、若干の輸送改善あり
1991年:北総2期線・新鎌ヶ谷駅開業。都心ルートが形成
1992年:松戸ー北初富ー千葉NT中央間の直通廃止
2010年:京成成田スカイアクセス線開業。成田への乗換駅に
2022年:スカイライナー一部停車
→1996年の東葉高速線開業で乗換駅に
→対都心の主要乗換駅。さほど変化なし
→新京成自身が京成千葉線に直通を始めた。京成本線が微妙なので対都心輸送において脇役なのは変わらず
1980年代後半までの新京成線
前節に列挙したように新京成線が乗換駅を多数抱えるようになったのは1990年代以降のことで、それ以前は路線の両端にある松戸・八柱および京成津田沼・新津田沼に向けてひたすら乗客が増えていく路線でした。多くの駅で乗降入り乱れる南武線のような路線よりは、(都心のターミナル駅までガス抜きポイントのない)郊外電車を2つ背中合わせにしたものと見たほうがイメージは近いでしょう。
郊外住宅地の拡大もあって乗客は増加を続け、新京成は8両編成の8800形12編成(1986~1991年)、8900形3編成(1993~1996年)導入や既存車両の一部8両化で輸送力増強に邁進しました。
(後編↓につづく)